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重たい雲の合間から酷く弱々しい光が漏れだす夕方に目が覚め、

ぼんやりとベランダからその一通りを見つめていると、

内包していた自分の感性とも言えないようなまだ未熟な何かしらが、

胸を撫でて呼吸をする度に甘い味がするような気持ちになった。

この情景に相応しい音をこの際に欲してしまうのは、

音楽に携わる身として才能というものがあると言えることなのだろうか。


1997年から2000年までに制作されたトラックの集大成、

Delarosa and Asoraの『Agony Part 1』というアルバムがある。

これはPrefuse73で有名なギレルモ・スコット・ヘレンの初期作品集である。

このアルバムは当時流行していたグリッチなビートを採用して全体を表現しているが、

聴衆側はschematicからリリースであることも手伝って、

Max/MSPやSuperCollider等を使用してランダム生成からオーディオ編集しているに

違いないと思っていたであろう。

しかし実際は、彼の友人から聞いた話によると

彼はPC操作には大変疎いとのことで、

(後にインタヴューなどで知られていく事になるのだが)

ほとんどPCは使用していない。

つまりは自動生成による緻密な音響作品だと思われていたアルバムは

後のPrefuse73で明るみになるまで、

PCから奏でられていたと思われていたと考えられる。

この時彼は愛用のAKAI MPC2000XLを使用し、

パッドを手で叩き緻密な音楽を肉体の躍動から生成していたのであろう。

当時MPCをこのような手段で使用していたのは稀なものであるが、

アルバムもよく聴けばMPCに搭載されている機能とグルーブ感を理解することが出来る。

冷静に聴けば流行の繊細なグリッチビートを構築することは可能ではある。

彼はそのグリッチなビートをPCを使用せずに制作するにはどうしたら良いものか考えたあげくに、

自分の使い慣れたMPCに手が伸びたのだと考えられる。

そしてMPCの機能を全開に使用し、

アルバムは完成したのであろう。

これにより、アルバム全体にはビートの確実性の傍らに、

微量のズレや手打ちによる更なるランダム性が生まれ、

アナログ機材独特の暖かみを付加させることが可能となった。

サンプリングされた音を器用にカットアップし、

細かくループさせビーッという音を鳴らし、

それぞれを感覚的に配置、

彼自身の持ち味でもある独特のペーソスも加わっている。

タイトルにはPart1と記されてはいるが、

シリーズ化はされておらず彼のインタヴューでも

この名義での制作はすでに終了していると述べていることは誠に残念なことだ。


私がこの作品で愛している点は、

7曲目まで盛り上がり、

「Paz Suite」という曲がパート4まで続き、

すべての要素を発露したところで、

そこから現代音楽調のトラックを

8曲も続けるところなのである。

すべて全力投球で制作されるアルバムが多い中、

この弱さとダラリと思いつきとしか思えない

その場で肉体に任せた音響世界は大きな役割を担っている。

静寂が訪れ、終いかと思えば、また始まる、

静かなカーテンコールが幾度も続くのだ。

聴衆側はどのようにして聴いても良いという自由をここで会得することができる。

私はこの部分に並々ならぬ愛情がある。


最近の彼の作品の原点のすべてを

垣間見る事の出来るアルバムである

「Agony Part1」は彼の作品の中で

私が最も愛して止まない作品である。


決して豊かな制作環境になくとも、

創作し続け完成させたこの作品は、

10代の若者が金銭的にも恵まれておらず、

機材も持ち合わせていないが、

なんとか音楽らしきものを制作しようとして、

カセットデッキで、

繰り返し音をダビングし上乗せし続けて、

なんとか音楽を完成させるような感覚にちかい。

そのような心情に類似する彼の制作姿勢がとても愛すべき点の一つでもまたあるのだ。


※入手困難ではあるが、
 Delarosa And Asora 『Crush The Sight-Seers』も薦めたい作品である。